諦観の日記

バレンタインデーの日、出るよと言われていた人事異動の内示にまさかの自分の名前があり、今思い出すと相当見苦しいうろたえ方をしてしまったなあ。もうこのことに関しては、今の今まで何度も呪詛のような言葉を吐きながら振り返って噛み砕いて、下っ端にはとても信じられないことをする大人がふつうに偉い人をやっているというむなしい事実が横たわっているだけだと割り切ることができたので、もういちいち文字にすることはしない。また何年か経ったら、今のこのぐるぐるした虚無のような気持ちの詳細も忘れているかもね。人事のことだけでなく、いろんないろんなことがあって、一年前と人間関係が一変しているのがおそろしい。好きな人と嫌いな人が入れ替わっている。
異動先も、その仕事も決して嫌なわけではないんだけど、10年近くカレンダー通りの生活をしていた身にローテ勤務ができるのかただただ不安なのと、やっぱり今の現場が好きだったし向いていたと思うし、それを周りも認めてくれてたのに、偉い人はそんなことにはまったく興味がない、という絶望がなによりキツかった。「感情的な人なら辞めてるよ」と同僚さんに言われたけど、私は怒りのエネルギーがすぐ燃えカスの絶望になってしまうから、動くほどのガソリンにはならないんだよなあ。あと、今までの人生でも半強制的に環境が変わらないと動けなかったから、これからもずっとそうだと思う。職場のなかでは比較的すぐに割り切ってあきらめているつもりでいられたけど、改めてお友だちとか外側の人に自分の状態を説明したら、ものすごくみじめな気分になって涙が出そうになることは何度もあった。ひどく自分が情けなかった。

とりあえず戦う気も向かい合う気も起らないので、私は私の仕事するのみだよ。アンナチュラルの最終回でもそう言ってたし(観ながらわんわん泣いてた)!
そのむかし働いてた中二病のスットコドッコイくんの態度があんまりだったので、私なりに一生懸命「そんなふうだと周りの人が君のことを良くないように捉えるよ」ということを伝えたら、「まあでも自分は周りにどう思われようが気にしないんで…」とひどく憂いを帯びた顔して言ってきたことがあって、もう私はそんなこと絶対口に出すものか、とぷんぷんしたのだけど、彼は彼なりに、そう思わなければやってられない人生(人間性によるだろうけど)だったのかもしれないなあと、無駄にスットコくんへの温情が生まれたりしました。

最後の一週間、いろんな人からお菓子をいっぱいいただいてしまい、これは自分への、感謝と区切りの気持ちの表し方なのだ、とやっとこさ踏ん切りがついた。怒っていても疲れるからいつまでも怒っていてもしょうがないので、前向きに頑張るよ。むかつく人はいっぱいいるけどね。