ここ最近観に行った展覧会など

10月の終わりから毎週美術館に行ってて、芸術の秋って感じでとても楽しい。お散歩にもちょうどいい季節。お着物来て美術館来てる人けっこういて、憧れるなあ。

「開館50周年記念・大仙がい展」@出光美術館

「がい」の字がブラウザで出ないので。Fちゃんと行ってきました。以前仙がいさんを観に行ったのは6年前のことでした。前回よりもさすが気合の入ったボリュームで若い時から晩年まで見応えたっぷり。やっぱり大好きだわ〜楽しかったです。描き始めたころの、顔は詳細に描いてるけどそれ以外は興味がないのか身体部分は気が抜けた感じなのとか、一度絶筆宣言してもまたわりとすぐに筆を取ったりしたこととか、九州を歩き回って楽しくてしょうがないのが伝わってくる連作とか、海で揚がったトド(本当はアシカ)を見て感動して描いてたりとか(すごくかわいい)。ゆるキャラみたいに見えるけど、そこにあるのは当たり前で、当たり前すぎて忘れがちなことを織り交ぜ伝えようとする禅の道で、それが庶民を愛し愛されるということだったんだろうね。

「ダリ展」@国立新美術館


シュルレアリスム展→マグリット展ときて、ダリです。いわゆるザ・ダリという感じの、茶色い金属でできた顔がでろりと溶けててサスマタで支えられてるそして砂漠、みたいなのは少なくて、若いときからなんでも吸収しては、なんでも自分なりに表現できちゃって、好奇心が純粋で知識に対して貪欲で、奥さんのことが大好きなダリの姿がいっぱいでした。瑞々しい10代から、ピカソとかの影響受けまくっては描きまくっていた20代での画力の進歩がすごすぎました。人変わってるじゃないかレベル。やっぱりまず基礎の技術がすごい人はテクニックの手札がすごい…。何よりお金持ちの生まれで、表現欲が素直だったから、あんなにのびのびすくすく天才が育ったんだなあ〜と納得してしまった。映像が作れるようになったり、戦争を経たり、芸術というものが世の中を動かす「運動」という力を持ったり、そんな時代であったことも、この天才で変態な人を芸術家にさせたんだねえ。
奥さんをモチーフにしたごちそうのイラスト集がとにかくやばかった。タイトルもいちいちトンチキすぎてやばかったw

ゴッホゴーギャン展」@東京都美術館

めちゃくちゃ混んでた〜ダリ展も混んでたけど六本木と上野の違いなのか客層が全然違ってて、チビッコもたくさん居たけどみんな疲れてたり観にくかったりして大変だったろうなあ。
ゴッホがとにかくゴーギャンのことが好きで好きで一緒に居たかったしいろいろやりたかったんだけど、やっぱりゴーギャンの生来のおおらかさというか余裕というかそういうのがまぶしすぎてしんどくなっちゃったのかな…という感じ。ゴーギャンは自分の好きなものがいっぱいあってそれがはっきりしてて、仕事をやめて絵描きになるくらいのある意味図太さがあって、家族も置いて最後はタヒチに行っちゃうし、そういうフットワークの軽さって本当に大きな心の強さだったんだろうなと思うんだけど、ゴッホはいろんな画家さんを評価しては影響を受けて取り入れて、きっとアンテナが過敏な人だったんだろう。現実にあふれる刺激すらもチクチクしてたまらないから頑張って絵にして処理してたのに、「たまには全部想像から描くのもいいんじゃない?」なんて言っちゃうゴーギャンの存在って、そりゃ魅力的だけれどデカすぎただろうなあ…あんなに人が好きなのにゴーギャンのことは椅子でしか描けなかったなんて。ゴッホが若いころに描いた農村の風景や、感銘を受けた機織りの絵は、色彩は(その後の代表作に比べれば)暗いけれどそれは間違いなく現実で、まだ何物でもない瑞々しさにあふれていてとても素敵だったのが切なかったです。
ゴーギャンが晩年になってからひまわりの絵を描いたことは、ゴッホの片想いがやっと報われた、みたいな展示がされていたけれど(笑)、器の大きいゴーギャンは愛情もいっぱい持っていて、ゴッホの作品もただふつうに好きだったみたいだから、彼みたいなひまわりを描きたいというテンポがたまたまゴッホが死んだあと11年後にやってきたということなんじゃないかな…そういうのってよくある。

ポムポムプリンとの謎コラボをしていたのでグッズ付き前売り券を購入して行ってきました。

このゴッホポムとゴーギャンポムかわいすぎなんですけど〜〜〜〜!ゴーギャンのほうがふっくらしてるの〜〜〜ゴッホポムの左耳が上がってるのはそういうことのなの…!?
ポムポムがグッズになると基本的につっこみどころ満載でいじられていてかわいい楽しい。ポムポムもキティさんみたいに出世していくのかな…。
あとガチャガチャでミニチュアアートギャラリーをやったんですけど、欲しかった「星月夜」が出たんですけど、

さかさま!!!!