Life is desire, not meaning . And,life is go on.

ひっさしぶりにはてなに入ったら、2020年の夏に書いたのが下書きに残ってたので、せっかくだから見えるようにします。


ジャージーボーイズコンサートに行ってきました。初日と2日目も配信で観ましたが、実際に帝劇に足を運んだのは、有観客となって2日目の24日、翌25日、最後は8月3日でした。

とても久しぶりに、そしていろいろな心理的な枷を抱えた状態で、復活した劇場の席に座ってみて感じたことは、あらゆるエンタメ(特にナマの)空間に意味なんかない。そこには願望があるだけということ。板の上の人たちも、客席の人たちも、ただそこに居て自分の役割を果たしている。それだけで、そこにしかありえない空間が出来上がる。そのあったかくてやさしい想いの重なり合いを肌で感じたくて、わたしはもう何年も幾多のジャンルを行き来しながら、大なり小なりの劇場の席に座ってきたのだった。そうだー、これだよー、と7人並んでポーズするジャージボーイズと、ちらちら見える他のお客さんの手拍子やペンライトを眺めながら思い出したのだった。

推しを持つ人が現場に足を運ぶ理由って、推し(や推しに仕事をくれる団体)を支えるために課金するため!とかいろいろあるじゃないですか。そりゃ実際そういうビジネスなわけで。でもこういう事態になって、たくさんのものが削がれて、たくさんの真っ当な意見や感情や理屈があることは分かってて、それでも劇場に足を運ぼうってそれを選択するとき、それはもっとひたすら純度の高い「観たい」「そこに居たい」っていう願望しかなくて。板の上に立つ側もそう。めいっぱいのパフォーマンス、楽しそうな笑顔、エネルギーの放出、それは全て「これを見せたい」っていう願望と、覚悟の表明なんだ。