「風立ちぬ」

レディースデーでFちゃんと観てきました。うーんこれは好きだなあ。味わい深くて美しい、ひたすらに美しい作品でした。


二郎が菜穂子と再会したくらいからずっと、まるで底が見えないきれいな湖の掬っているようなさらさらした見応えだったのだけど、それはこの物語が綺麗なところばかりを映していたからだろうか。正義感も才能もあって、周りの人はみんな経済的に余裕がある良い人ばっかりで、戦争に向かっているのにどこの国と戦うのかも知らないままにただひたすら「美しい飛行機を作る」ことだけを認められていて、あの時代のなかで二郎は綺麗すぎる気がした。実際世の中も周りの人ももっとどろどろしているし、そんな二郎にとって菜穂子の存在という悲劇も、美しさの象徴なのかしれない。二郎には敵が居ない。戦う相手は自分の実力だけ。原動力のもとが自分のなかにしかない。それを失ったら生きていけない。「生きねば」と教えてくれるのも自分の夢のなか。それは実際ひどく孤独で、さみしいことなんじゃないかと思うけれど、やっぱりとても美しかった。
二郎は人生の岐路に夢のなかでカプローニに逢って、その先の人生を続けていくのだけど、それは夢だから本物のカプローニかどうかは誰にも分からない。二郎が生きていくうえで、夢の中のカプローニの存在は自分の理想そのもので、それを食べて生きていく二郎という人は、「ものを作って生きていく人」の理想を背負ってるんじゃないかしら。

ZIPの紹介で、二郎にとってのカプローニの関係は、宮崎監督にとっての高畑勲監督なのだと鈴木Pが話していたのだけど、飛行機は美しいが呪われたものだと伝えるカプローニは、ただひたすら美しいものを作りたいと願う二郎に現実を教えてくれている。確かに高畑監督は現実主義者だよね。宮崎監督は、ラピュタで「人は地面から離れては生きられない」と言わせたりしながらも、やっぱり空と飛行機が好きで好きで仕方ないんですねと思った。現実を知りながらも、それでもただ美しい作品を作りたいのだという宮崎監督の思いが伝わってきました。


全編、二郎はすごく魅力的な人でした。かわいい。「でも牛は好きだ」のくだりとか。菜穂子と二郎が再会して、二郎が「あのときの」と思いだすときの泉は、何を表してたのかなと思う。菜穂子の生命力の再生かなあ。黒川さんがふたりの結婚を認めるとき、二郎に「君のは愛情ではなくエゴイズムではないのかね」っていうんだけど、何より幸せな恋人同士って、お互いのエゴイズムが重なりあっているときなんだろうな…。少なくとも二郎と菜穂子は短い時間一緒にいることで幸せな時間を持てたわけだし。