「真夜中のパーティ」@PARCO劇場

作:マート・クローリー
訳:小田島恒志
演出:青木 豪
出演:阿部力内田滋/右近健一/中野英樹/浜田学/中村昌也徳山秀典村杉蝉之介山崎樹範
スーパーバイザー:青井陽治

主演の阿部力さんはやましげさんと「子育てプレイ&more」(ディスカスで全部見ちゃった)で共演していて、まー最近、あの人とこの人が共演する舞台が多くて嬉しいです。そんで初めてのパルコ劇場。時間がギリギリであわててエレベーターに乗ったらカリカ家城氏と同乗しました…教頭と同じ日に見るなんてちょっと素敵。

有名な作品で、映画も見てみたいけれど、そもそも日本人がこのお芝居をやっているということ自体なかなか入り込むのが難しかったです…。でも、60年代後半に初演された時点で、あのパーティのなかで描かれるような人間関係や出来事が、どれくらいの真実が反映されているのかなんて、きっとその当時でも誰にも分からない。重要なのは現実味じゃなく、ちょっと心が弱い青年の淋しい人生なのだと気付き、とても悲しくなりました。終演後は珍しくいろいろと考えてしまってそれがまとまらない…。同性愛だとかマイノリティだとか関係なく、人を愛するとか全然分からない私には、彼らの人生に共感することも反発することもむずかしい。

後半はなんというか、救いようのない喧嘩を見せつけられているようで、本当に見ていて苦しかったです。人が人を罵倒したり傷つける言葉を吐くのを見るのはつらい。阿部さんあの役やるの本当にしんどいだろうなあ…。でもドナルド役も疲れるね、彼の立場は観客と一緒だから。一日半早くやってきたドナルドは傍観者でありつつ、結果的にパーティの後のマイケルの支えになったなら、それはあの作品のなかで数少ない光のような気がする。

アランは本当にストレートだったのか、ジャスティンの話はマイケルとアランのどちらが嘘だったのかは結局分からないのですが、アランの怖いほどのゲイに対する嫌悪感や、あの告白ゲームで結局奥さんに電話すること自体、彼が本当の自分(ゲイ)を認めない決意みたいなものだったのかなあとも思いました。そうじゃないかも知れないけど。
ちなみに、パンフで「アランはマイケルの初恋の人」と対談で話しているのですが、そのことは作中で明確に明かされるわけではないんですねえ。自棄になって、アランをゲームに巻きこんで嗜虐的になるあたり、少年が好きな子をいじめる心理みたいなもの?それが序盤の「大人になれない」と自分を憐れむマイケルとリンクして余計切なかったなあ。序盤のマイケルとドナルドの会話の応酬、半分くらいついていけなかったのだけど、こうして後からつながってハっとしました。
その対談↓

山崎「阿部くん…俺のこと、大丈夫?好きになれる?だって俺、阿部くんの初恋の男の役だから気になってて。」
阿部「もちろん、好きにならなきゃしょうがないと思ってます……」
山崎「やめてくれ!その仕事モード!」
阿部「山崎さん本人のことはすごく好きなんですけど……」
山崎「けど?何?愛せない?」
阿部「愛せないですね……」
山崎「えー!?じゃあお芝居頑張ったら、チューさせてあげるよ」

しげさん何言ってんだ(笑)
あとマイケルが言っていた「クローゼット・クイーン」はそのまんま「隠れゲイ」という意味らしい。