たっきーのこと

15日の日付が変わった瞬間にRTされた「ご報告」で知りました。びっくりして、「うそうそうそ」言いながらベッドの上でスマホを落として、そこからどんどん広まっていく「嘘だ」「信じられない」を飲み込んでいたら、どんどん涙があふれてきて、2時間近く寝つけず、朝起きて朝イチを観てまたべしょべしょに泣いた。どうしてなんだろう。どうしてたっきーなんだろう。
数日経っても、というかこの喪失感は一生消えないんじゃないかと思う。今までも観ていた人が急にいなくなる経験はいろいろしてきたけれど、たっきーは「死別」なんてものと一番無縁な気がして、いまだにセンスのないドッキリにしかけられてるんじゃないかという気がしてる。たっきーは、むしろ誰かの別離をギリギリのラインで言及して、おかしな空気にして、それでも「しょーがないなー」って許されちゃうポジションなんじゃないの?何やってるの、たっきー。手の届かないお星さまに飛ばされて、笑いながら悔しがってるのかなあ。

「滝口炎上」を観て、たっきーは「追っかけたりはしないけど観れたら嬉しいし、良いお仕事があればよかったねえと思うしそれが自分の好きな対象と共演であればさらにラッキーだし、いろいろあるだろうけど彼は大丈夫だろうと勝手に思っている」役者さんになった。きっとお客さんも仕事仲間も、たっきーのこときらいな人なんかいなかったと思う。芸能人として生きるにはちょっと優しすぎるなあと思うところもあって、ふとした弱みも出しちゃうし言っちゃうし、良くも悪くも相手ありき。でもあのキレイなお顔でいつもニコニコしてて、自分の存在を観てる人に託している、ある意味孤高にはなれないたっきー。最近は2.5次元のお仕事で兄貴分みたいなポジションもしていて、私が知ってる場所だけじゃなくて、あらゆるところから偲ばれていて、培ったものも、未来もたくさんあったのに、彼に向けられていたたくさんの「好き」が行き場を失ってしまった様が、切なくてしょうがなかったな。たくさんの好きがひっくり返って悲しみになって現れてしまって、こんなつらいことってない…。

週末、たまたまるひまつながりのお友だち数人と集まる約束をしていて、特別彼のことを語り合うようなことはしなかったけれど、同じ悲しみややるせなさを抱えている相手と過ごすのは大事だなあと思った。こうすることを繰り返すしか、私たちは彼がいなくなった時間をやり過ごせない。たくさんの役者仲間さんたちも、ちょっとずつちょっとずつ、満潮になっている悲しみが引いていくのを待つしかないよね…ときどき嘘みたいに引いて、また津波が起こって溺れちゃうくらい押し寄せることもあるはずだから。

最後に観たのは前の週の朝イチで、花丸大吉氏と口笛を吹いてて、巧く吹けなくて、やっぱり困ったようにニコニコしながら「俺テレビ向いてない!」とか言っちゃって、すぐそういうこと言うんだから~って思ってた。やっぱりこんなお別れってないよ!