「club SLAZY」シリーズを観ていた3年間の思い出話

スレイジーに出会ってから、ゆるやかに沼に浸かっていった記憶の記録です。めっちゃ長いです。

2013年の9月に新宿FACEにて1stがあり、4日間6公演とかだったと思うんだけど、短いなあと思って観に行ったら「これを一週間以上は大変だろうな…」と妙に納得した。もっと運動量やエネルギー消費激しい興業もたくさんあるんでしょうけどもそのときはそんなに知らなかったし。曲もダンスも良かったけれど、ストーリーは本当につかみどころがなくて、設定も世界観もさっぱりだし、もともとある何かの二次創作のようだなあとも思った。加藤くん演じるDeepが、考えない!と言ったBloomに、「わ〜いいなあ、僕は考えちゃう〜!」って言ったところで、なぜか心をひっかかれていた。なぜなのか、今なら分かるような気もするし分からない気もする。楽日に年内に2ndが公演されるお知らせがあり、きっともともと決まってたんだろうなあと思った。
12月14日に、泉岳寺にお参りに行ってからスペースゼロに行ったら、切腹最中の紙袋を持ってるお客さんが居て、同じルートだな…と思った。1stのつかみどころなさが少しつかめるのかと思ったら、余計わからなくなってしまった2nd、とりあえず大山くんことActさんは再度出ることはあるのか?ってことが気になる程度でした。

2014年の4月、初のライブがあるということで、わりとおなじみの渋谷のduoへ。スタンディングはなかなかきつかった。音楽のライブの客層ともまた全然違うし。こうしてライブで観ても、本当に楽曲群は名曲だらけ。キャストたちは台本がないとどうふるまっていいのか微妙なのか、普通に「中の人ネタ」を繰り出すBloomもっくんとCoolBeans米原くんが大変かわいかったです(1年後には考えられない)。
ライブ後、11月にシリーズ3作目をやるよというお知らせをもらう。知らないキャストさんを調べたら、ブリミュで観た石坂さんだ、おじさんがいるぞ…!?となる。行って観終わって思ったのは、大人が入るとスレイジーも男の子たちの青春群像劇みたいになって面白い、ということ。あと、1stぶりに観たEndこと井澤くんが、演技もパフォーマンスもキャラクターもとても良くて、Endくんかわいいなあ、そして井澤くんてすごいなあとしみじみした。部活漫画みたいな物語だな〜と思ってたら、出ている人たちも「スポ根」と表現していてやっぱり。3rdからは共同脚本として伊勢直弘さんが参加するようになっていて、そのテコ入れも効いたんだなあと思いました。
年開けて2015年、2回目のライブの告知があり、その宣伝でライブ直前の3月末にBCDEQのメンツが古坂大魔王氏のアメスタ番組に出たので観た。今思えばまだまだよそよそしげだったメンバーがほほえましかった。その後の有料放送でDeepとEndの組み合わせのトークを観て、楽しかった楽しかったと繰り返すふたりがかわいらしくてたまらず、ついDVDをポチってしまう。届いたDVDの座談会を観たら放送とまったく同じ話をまた楽しそうに話していて、この謎だらけの物語のなかで「楽しい」を担っているDeepさんが大好きになってしまった。

ライブ後(行ってないけど)、年末にシリーズ4作目の発表がある。春から12月になるのなんてあっという間で、しかも公演期間が2週間近くあってさらに大阪公演まであった。すごいことである。この後に及んでまだ私「見たい!!絶対行く!!たくさん行く!」という熱量ではなく(ゆっくりじっくり気が付いたらハマっているタイプだったらしい)、初日を取っていたものの地元での父の手術が入り行けなくなって、最初の土曜日の当日券で行ってみた。この4th、ふたを開けてみたら「…うそだろ…うそだろ…」の連続で、終わったあと頭痛が止まらなくなった。ここにきての過去エピソード、あれがあれとこうなってこうだったという人間関係入り乱れに、この印象はあれだ、ONEPIECE的な長編漫画状態だ…スレイジー、めちゃくちゃ面白いよ!(みんな観て!!)となる。
また年が明けて2016年2月、4thのルッキュ放送があり、その終了後「7月に新作公演」のお報せがある。しかも「AnoterWorld」ってついてる。アナザーワールドってなに…!?もう何が来てもおかしくない状態のスレイジーなので、楽しみとかより不安のほうが高くそわそわしてしまう。そんななか、3月にDeep役加藤くんのお誕生日ライブがあり、ゲストに振り付けの富間里美さんとGraf役の後藤くんが来るから特別スレイジーセットリストしちゃうよと告知されたものだから、迷ったあげくに行ってきた。自分の曲のタイトルを正しく言わず(笑)、Cbさんの曲を勝手に歌ってしまうあたりがあまりにDeepさんで、すばらしかった。楽しかった。ところで、Actさんは戻ってくるのかな…?と常に心の片隅には置いておいたのだけど、某ネット番組に出ていた大山くんが「夏に痩せなきゃいけない仕事がある」と言っていて、まさか…と思っていたら、4月のキャスト発表にキター!!しかもレイジーはActさんとDeepさんだけ。観る前からうそだろ…と頭を抱えた。しかも新キャストが3名である。そして、当日券余裕が当たり前だったはずなのに、先行分でチケット取れなさすぎてびびった。うそだろ…。大山くんが戻ってくるということで、1stしか観てないんだけど行く、というお友だちがちらほら居たので、布教というより復習ゼミをなにかにつけて開講、人に貸す用のDVDの必要性をと初めて実感する。
何が来てもおかしくないと思ってはいても、AWの展開は開いた口がふさがりませんでした。不在のレイジー全員を担うDeepさんのパフォーマンス力と運動量に驚く。こんなにもできる人なのが本当にすごい。AWは、至言でできていた、そして真綿の首絞めのような絶望感だった。これは中毒を招くやつ。沼決定。ところで大山くんは思ったほど痩せておらず!それで良いのかと思ったよ!でも大山くん、本当にスレイジー好きなんだよね…。
8月、制作のクリエさんがサマーフェスティバルなイベントをサンシャイン劇場で開催。スレイジーの楽曲シーンを繋げたライブ(発声可能)と、キャストによるトークイベで、本当に楽しかった。こんなふうにこのコンテンツが成長したことを、誰よりキャストたちが喜んでいることが嬉しい。そして12月に「最終章」の発表に、客席からは悲鳴が上がってた。終わるの?終われるの?どうやって??そして一週間もない公演期間、今までで一番小さい会場、チケット、取れるの?考えれば考えるほど、情緒が大変なことに。


そんなファイナルは、詳細の告知がなかなか出なかったりと、短いあいだに何度も「ほんとにやるのだろうか」と不安になったし案の定チケット取れるのか問題にやきもきしましたが、そんなことはもはや遠い昔のことのようです。
ここからは主にファイナルの感想というより全体に対するポエムみたいなものになるけれど、まずDeepさんがトップエースになる、というおそらく386の誰ひとり結末として予想してなかったであろうシナリオに、それはそれはびっくりしたけれども、お披露目された途端にそのびっくりを上回るハッピーさの嵐、そして大団円。彼がトップエースになることが、ここまでシリーズを観てきた私たちが一番納得できる結果だったのだと思わせる説得力。その気持ちの振れ幅も含め、本当に感動しました。それを担う加藤くんの地力の強さというか…この人はやっぱりすごいね!?
トップになると店を出ていく(いろんな顛末の末に別離を選らんでしまうセカンドエースとともに)レイジーたちを見てきたディープさんが、自分のためであり、店のためであり、誰かのためにトップになって、笑顔でみんなに支えられている。それは自分が選んだことで、最良であり、そして最強であると思う。人は自分のためだけでも、誰かのためだけでも生きていくことはできない。誰かを支えているつもりが、実は生かされていたりする。変わっていくことはお終いじゃなく、過去を大切にし次に生かすこと。それに気づいていること、でもそれにすがらないこと…なんだか、メンタルヘルスにおけるレジリエンスとかエンパワメント理論だ…と考えるようにまでなっていました…。


作り手である三浦香さんがときどき出力するいろんな言葉も、生み出してくれた人の言葉だからこそ胸を突くものがあります。客席という絶対のカーテンの壁に守られた私たちには、どうしたって分からない、届かなくてよいもの、見えなくてよいものもたくさんある。こちらには想像もつかない大変なことや、大人の事情が山のようにあるのでしょうけれど、その幕の向こうを、言葉を選んで少しだけ伝えてくれる。それもまたひとつの愛だなあと思います。私はいつだって、裏方の人が垣間見せてくれる幸運を拾うことに喜びを感じているし。
AWが終わったときに三浦さんが「正直、SLAZYをやりたい!出たい!またやろう!とは言い合っても、それだけでいかないことだってある。それでいて人が集まるとは本当に奇跡なことだ。と思うわけです。」と書いていて、本当にその通りだと思う。お笑いのシリーズライブだって、信じられないくらい希望に満ちていても急に無くなるのをいくつも観てきたし。三浦さんがいつもこうした感謝を書いてくれることがとても嬉しく、スレイジーにあふれる愛情の説得力を裏打ちしてくれている。出ている人も作っている人も、みんな作品が大好き、なんて、実はめったにあるもんじゃなく、みんなが大好きなまま、いったんサヨナラができたことも、幸運でしかないんだよなあ。「終わり」はさみしい。でも、終わりを迎えたのか分からないまま、消えて行ってしまうもののほうがずっと多い。そっちのほうが私はさみしい。
もともと5作で終了予定だったというスレイジー、あれもこれも分からないことだらけのままでファイナルを迎えてしまって、これがもし漫画とかだったら連載打ち切り感がすごかったと思うのだけど、そこにキャストが居て、踊って歌って積み重ねたものを大切にしてくれているのが分かるから、あの多幸感を全力で受け止められる。なんだか、舞台作品というものが持つちからとか役割というものを改めて教えられたような気もします。
なにせ2016年はスレイジーに情緒を振り回されました。楽しかった。ドラマ化はいろいろ気になるけれど、とにかく、好きになれて良かったです。お疲れさまでした。2016年から急に「チケット取れない」になってしまって、それに(いったん)涙することもなさそうで、ホっとしています。チケット取れなくて涙するのが一番苦手。年末のライブも本当に楽しくて、3日間大阪で過ごしたこともとても良い思い出だし、まだまだキャスト同士の共演もあるし、きっと思い出を振り返らせてもらえる機会がたくさんあるのだろうとわくわくしています。

進んでそういうのを観に行くほうではないんだけど、観ている人たちのさまざまな解釈に触れることができたのも、本当に楽しかったです。私は差しだされたものをそのまま食べることしかできないので、あれやこれや謎解きができる人たちはすごい。そういうものにすぐ影響されてしまうから、積極的に見ないようにしてたけど、同じものを観てるのに受け取る人々それぞれの解釈が事実となって存在するのだと思い知らされた。そしてそのどれかが正解だとは教えてもらえない、それもまたスレイジーであり、ひとつの真実のかたちなんでしょう。