トライストーン・エンタテイメント「女中たち」@シアタートラム

[作] ジャン・ジュネ
[翻訳] 渡邊守章
[演出] 中屋敷法仁
[出演] 矢崎広 碓井将大・多岐川裕美

矢崎くんが姉ソランジュを演じるAパターンを3回、妹クレールを演じるBパターンを1回観たけど、最初にAを観たとき、これ1回で理解するのは平日仕事帰りの鑑賞ではとても無理だ、と早々に諦めたのですが、その日のポストトーク中屋敷氏がジャン・ジュネ目線で熱く語るのを聴いて、少し食べ方が分かった感じでした。ひさしぶりに、観終わってあーだこーだと言い合うのがとても楽しかった作品。決して気持ちのいい内容ではないんだけど、いろんな人の解釈をそれぞれ否定せずに交換し合えるのは、やっぱり良い演劇作品だと思う。ワタルームフェスを観に行ったとき、「舞台観てるときって、ひとりだけど、ひとりじゃないじゃん?」と柏さん(が演じるまりかちゃん)が言ってたんだけど、生ものを観ているときのその絶対の法則って、ときに残酷だけど素敵なことだなー。一人じゃないけど、結局独り。Bパターンももう1回観たかったけれども、消費するカロリーがはんぱないもんでそれ以上増やす覚悟はなかった…。おいしいんだけどものすごく胸やけ胃もたれするごはんを食べる気分。初見から、中盤で奥様が登場すると、あの難解な翻訳セリフも奥様の口から出てくるとすんなり頭に入ってきたのでとても驚きました…。奥様すごい、そしておそろしい。

個人的には、奥様は女中たちのやっていることをすべて知ってる人だったんじゃないか説を採用したい(オフィシャルな視点ではそうじゃないみたいですが)。最後、茫然とする女中ふたりをそれぞれ一瞥して客席にお辞儀をする奥様はまるで「お見苦しいところをお見せしました」って言ってるみたい…と思ったり。結局クレールも絶命したわけではないかもしれなくて(睡眠薬も奥様の部屋にあったものだから)、可動式の舞台装置が降りてきて、奥様の部屋から女中部屋に戻った空間にふたりは閉じ込められる、結局は奥様の手の上の籠のなかの生活に戻る…のかもしれない。碓井ソランジュはそうでもなかったのだけれど、矢崎ソランジュは最後の挨拶で奥様にずっと憎しみと脅威をはらんだ視線を向けたままで、千秋楽の今日は吐き捨てるように何か言ってたのが怖かったなあ…。
真面目で道から外れることは自分ひとりではできないけど、欲望や妄想に忠実で感情的になりやすい姉らしさを持つソランジュが、自分の妄想にはああなっちゃうくせに、奥様の妄想にはうまく付き合ってあげられないのが本当に切なくてかわいそうで、千秋楽で初めてひどく共感してしまった。わたしも他人様に夢見語りにマジレスしがちだし。一人の人格として愛してほしいのにうまく訴えられず応えられず憎悪を膨らましちゃうソランジュと、要領もいいし冷静なところもあるけど結局は姉ありき、みたいないかにも妹らしいクレール。「ごっこ」遊びのなかにソランジュ役が居ないのも、きっとクレールはお姉ちゃんに付き合ってあげてるんだろうなあ…。

あと、今回のような感情のぶつけあいみたいなのを観ると、どうしても恐怖感というか慣れてなさというか、すぐにどうしていいかわからなくなるキャパオーバー状態に陥るのだけども、やっぱりそれは私がひとりっこだからなのかなあと思う。会話の応酬に慣れてないんだな、わたし。

矢崎くんは姉も妹も、自分の感情の芯が太くてそれにある意味操縦されてる感じ。碓井くんは特にソランジュのとき、精神的に擦り減ってどんどん追い詰められていくようなヒステリーな弱さがあって、動作も振る舞いも全然違っていて、見比べるのは本当におもしろかったです。千秋楽の矢崎ソランジュ、最後に妹に迫られて一筋涙をこぼしたのが本当に美しかった。